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お葬式のしおんブログ

古き良き時代のお葬式を勉強してきました

先日、東京都青梅市にある「有限会社 博善社」さんにおじゃましました。

㈲博善社さんは、弊社と同じ葬儀業界で活躍されている会社ですが、
なんと“創業110年”という老舗の葬儀社さんなんです。


東京都青梅市
有限会社 博善社 様

時代の流れと共に、お葬式のかたちも年々変わってきていますが、
その変化は速いもので30年、40年・・と遡ると、
現在とはまったく違う形式のお葬式を執り行っている事も多く、
スタッフの私たちも今と昔の違いに驚くことがたくさんあったりします。

そこでこの度は、スタッフの知識の向上と、古き良き時代のお葬式を学ぶため、
同じ土地で100年以上も続く老舗の葬儀社さんに、
現在ではほとんどなくなってしまったお葬式の“風習の名残”や“歴史の一片”を、
色々と見せていただいて来ました。

今回は見せていただいた一部ですが、ここでご紹介していきたいと思います。

ご紹介する昔の名残
①案内看板 ②手提げ提灯 ③訃報 ④釘打ち
⑤蝿帳 ⑥白木祭壇 ⑦花環

昔の葬儀を経験された方は、どこか懐かしく感じることもあるかもしれません。 🙂 

① 案内看板

今から30年程前までは、ご自宅で葬儀を行うことが主流でした。
これはその頃の道案内の看板です。
この看板にお名前と方向の矢印を入れて、ご自宅までの道のりに設置していたそうです。

この形の看板はナビや携帯電話の普及により、
今では葬儀式場の近くで「〇〇家式場」と書かれたものを、たまに見かける程度となりました。

② 手提げ提灯

「手提げ提灯」と書きましたが、正式な名称は分かりません。 😥 
これもご自宅での葬儀が主流だった頃に使われていました。
当時はご友人や会社関係の方々などにご協力いただき、
ご自宅の近くや駅前などに立って案内していたそうです。

私も子供の頃、駅前でそんな光景を見た記憶があります。

博善社さんでは、この「〇〇家」のお名前の文字、先代が手書きで書いていたそうです!
とても綺麗な字で、手書きとは思えないほど整っています。
ワープロ、パソコンなどを使うことなく、手作りの仕事を行っていた先代の技術は、
とても素晴らしいものでした。

③ 訃報

「訃報」とは、“不幸を知らせること”です。
「訃報欄」「お悔み欄」「死亡記事」など、名称は様々ですが、
新聞でご覧になった事のある方はいらっしゃると思います。

30~40年程前まではこのような紙面を町内会や自治会の掲示板に張り出して、
地域の皆様に不幸があった事をお知らせしていました。

この「訃報」にある、ご不幸があった家では「忌中」と書いた札を自宅前に張り出していました。
click ▶忌中詳しくはこちらご覧ください

「訃報」と「忌中」どちらの張り紙も見かけたことのある方はいらっしゃるのではないでしょうか。

今では“個人情報保護”などの観点から、葬儀社や自治体の多くが
このような紙面は張り出さない事を推奨しています。
そのため近年で見かけることは少なくなりました。
(お住いの地域や各自治体により異なります)

④ 釘打ち

釘打ちとは、ご出棺の前に故人様の眠るお棺の蓋を“釘”で打ちつけることです。

地域によりますが、かつて「釘打ち」の儀式は一般的に行われていました。
これはその際に使用する釘と、釘を打つための“石”です。
金色の釘を使用することが多かったそうですね。

「釘打ち」が行われていた背景には色々な言い伝えがあります。
click ▶ 「釘打ちの儀」詳しくはこちらをご覧ください

今ではご遺族の心情など、様々な理由から無くなりつつある儀式の一つです。
(地域や風習、宗教により異なります)

お地蔵様が綺麗に彫刻された、こんな石も見せていただきました。

これも釘を打つのに使用していたものだそうです。
博善社さんのお話しによると、他にも手のひらサイズの大理石で釘を打つ事もあったそうです。

⑤ 蝿帳

「蝿帳」(はいちょう)というものは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
一般的な蝿帳は、網を張った戸棚、傘状で食卓を覆うものなど一時的に食事を保存するためのものです。

葬儀で使う「蝿帳」は、故人様への“ご飯と団子”を入れて祭壇にお供えするものでした。
少なくなりましたが、今でもこの蝿帳を使う葬儀社はあるそうです。

博善社さんでは、この「蝿帳」をご家族の“家紋”も含め、網を張るところから
全て一つひとつ手で作っていたそうです。
綺麗な金の紙で作られた家紋は繊細で、とても丁寧に作られています。

⑥ 白木祭壇

分かりづらい写真ですみません。
ビニールに覆われていますが、これは組み立てる前の白木の祭壇です。
大小、様々な桐箱の中には、分解された白木祭壇のパーツが収められています。
こちらは今でも所有している葬儀社はたくさんあると思います。

現在は設備の整った葬儀専用の会館がたくさんありますが、
かつてはこの桐箱をご自宅や集会所に運んで、一から白木祭壇を組み立てていました。

昔の葬儀社のスタッフは職人技が必要だったことが分かります。

因みに、白木祭壇には3段、5段など、いくつか種類があり、
博善社さんでは3種類の白木祭壇を使用していたそうです。

⑦ 花環

「花環」は、生花または造花を組んで丸い形にしたもので、慶弔などの意を表すのに用いられます。

今では店舗の開店祝いや改装、リニューアルオープンなど、
地域の方へのアピール、集客のツールとして使われることが多く、
お祝いとしての華やかな色をした花環を見かける方は多いのではないでしょうか。

葬儀の場では、お祝いとは違う黒や青など落ち着いた色を基調としたもので、
故人への“弔意”、“ご供養”の意を表すものとして多くの地域で使われていました。
その頃の一般的な花環は、高さ約3.5m・直径約1.8mもある、とても大きなものでした。

開店祝いの花環と同じように、かつては葬儀でも自宅や葬儀場の外に大きな花環が立てられていましたが、
今ではその光景を見ることはなくなってきました。
(お住いの地域や風習により異なります)

博善社さんでは、創業時から「花環」を自社で作っていたそうです。
現物はありませんでしたが、その名残が色々とありました。


↑花環を立てるための“足”。重くしっかりとした木材です。
これで屋外に飾られる大きな花環を支えていたんですね。


↑綺麗な金色の羽をした鳥のオーナメント。
この鳥さんが花環の上部に飾られ、ポイントとなっていたそうです。
博善社さんではお祝い用の花環も作っていたそうなので、この鳥さんはお祝い用のものかもしれません。


↑天井の所々に、このようなフックがたくさんあります。
これに大きな花環を掛けて作り、型崩れしないよう保管していたそうです。
このフックはその名残です。

かつてお葬式は、ご家族やご親戚、ご近所の方々など皆様のご協力のもと、
大変な時間と労力が使われていたことが分かります。

昔使われていたものが、ここまで残されているのは、
100年以上も続く葬儀社さんならではの素晴らしさですね。


  ㈲ 博善社   野村さん より ~ 
『当社は創業110年。青梅市で一番の老舗です。たくさんの方に支えられここまで来ることができました。そのたくさんの感謝の気持ちを込め、どこよりも誰よりも心のこもったご葬儀を明朗会計でご提案することをお約束します。』

野村さんはじめスタッフの皆さまも、とても優しくいい方々でした。 🙂 
お忙しい中、快くご協力いただき本当にありがとうございました。
100年以上の歴史を守っていくのは大変なことだと思いますが、
今後も青梅市を代表する老舗葬儀社さんとしてがんばってください!

 


最後までご覧いただきありがとうございます

新しいお葬式のかたちが増えている一方で、伝統や風習を重んじる方もたくさんいらっしゃいます。
今回は葬儀スタッフとして、歴史を知ることの大切さを学ばせていただきました。

また、“葬儀”は地域性が強い文化です。同じ“葬儀”といっても地域や風習により様々な行い方があります。
弊社しおんは、神奈川県を中心にお手伝いしていますが、
違う地域で活躍されている葬儀社さんのお話を伺うことは、同じ業界で働く者として大変勉強になりました。 🙂 

今後もさらに意識を高め、お客様により良いサービスをご提供できるよう、
努力していきたいと思います。

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今後も少しづつ掲載していきたいと思いますので、また是非のぞいてみてください。 🙂